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吉見俊哉『大学とは何か』を読む(3・完)

香港大學(梅堂及儀禮堂) The University of Hong Kong (Elio...

香港大學(梅堂及儀禮堂) The University of Hong Kong (Eliot Hall & Meng Wah Complex) (Photo credit: Wikipedia)

ブログを開始して以後、(1)(2)にわたって「大学とは何か」をじっくり考えてきましたが、そろそろ一区切りにしたいと思います。連載の最後として、第三の役割、社会への発信・還元という切り口から考えてみたいと思います。お話しのエッセンスは先週の記事に英語でも公開しています。

学知や研究成果を「誰に向けて発信するのか」とは「大学とは誰の(ための)ものか」という問いにつながります。政府・民間を問わず、外の団体からの援助(外部資金)を受けた際には、「援助をいただいたおかげで、このような研究成果を挙げることができました」と世の中に還元することが求められます。支援者に行く末を左右される意味では、大学のガバナンス、と読み替えてもよいかもしれません。このギヴ・アンド・テイクは、知識のパトロネッジ(patronage)と呼ばれます。本書ではこの「大学とは誰の(ための)ものか」の問いへ歴史的に立ち戻り、それは天皇〔帝国大学〕から企業〔産業界への人材供給〕、国民〔国家の威信〕、教師〔教養をまもる象牙の塔〕、学生〔大学紛争〕を経て、何らかの「人類的普遍性」、文字どおり university へたどり着きます。

変化の背景として、本書は国民国家の退潮を指摘します。国境がもつ意味が相対的に薄れると、文化が国際関係のファクターとして浮上します――あるいは文化の差異として国際・地域間関係を考える必要が出てきます。ここで文化と国際関係を考える本ブログの視点につながってきます。その中でも、以下の指摘は見逃しがたいものと感じます。

…重要なことは、これを単なるアメリカ式システムへの一元化としてとらえないことである。たとえば英語化にしても、日本、韓国、中国の学生が知的交流を進めるのに、英語でのコミュニケーション能力は必須である。共通言語としての「英語」は、共通通貨としての「ドル」に似ているが、それ以上の可能性を内包している、なぜならば、世界の実に多様な文化と歴史的背景を共有した学生たちが英語で直接、議論し、プロジェクトを共有するなかから、単純な「英語支配」などという紋切り型には収まりきらない無数の新しい知がすでに生まれつつあるのである。〔本書241-242ページ〕

この点には、編集の仕事を始めて以来かかわっている国際協同プロジェクトの経験からも共感します。英語化のトレンドは、英語をハブとした新たな翻訳交流を切りひらくものでしょう。 ハブ機能を、新進の日本史家である與那覇潤さんは自身のブログで「コンテクスト(文脈)」という言葉を交えて巧みに述べています。文化を高コンテクストから低コンテクストへ翻訳し共有する機能を今日の英語が担っていると言えます。

他方で、コンテクストの掘り下げが浅くなり、本質的な理解は深まらないとする反発もあります。フランスのクオリティ・ペーパーであるLe Monde の記事(邦訳)では、英米以外の国による英語化が、まさに「英語帝国主義」の推進だと述べられており、イタリアのミラノ工科大学では大学院の英語科目導入に対する是非(邦訳)も議論されているそうです。 こうした著しい英語化の試みが学術研究の世界へ与えるインパクトは、一つ一つはごく微々たるものにすぎないものの、全体でみれば小さいとは言えないでしょう。

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“白雲如棉挺山青 水映黃昏藍天明” / 香港中文大學全景之寧 Chinese University of Hong Kong (CUHK) Panoramic Serenity / SML.20130529.6D.15293-SML.20130529.6D.15298-Pano.Planar.98×64 (Photo credit: See-ming Lee 李思明 SML)

グローバルな舞台とローカルな文脈の両輪にまたがって、大学はこれからどうなるのか。最近、これに対応したさまざまな動きが紙面を賑わせています。例えばアジアの准英語圏に属する大学は、北米の大学と直接提携して複数の学位(multiple degree)を提供しています。シンガポール国立大学(NUS)はイェール大学と(Yale-NUS College)、香港大學(HKU)は昨年、建学百年を迎えて次の百年を英語圏との更なる協働に充てようとしています。背景にはオンライン教育(MOOCs)への対抗もさることながら、シンガポールや香港は国土や人口が小さく、外国からの頭脳獲得に賭ける事情があるようです。日本でもごく最近、東京大学で東大‐イェール・イニシアティブというNUSに似た取り組みが始まっているようです。いずれも英語を通じて日本がグローバル・イシューを学び、同時に、海外とくにアジアの留学生に日本を学んでもらう試みであり、まさに英語がハブとして機能する場と言えます。

連載を締めくくるにあたって、10年以上前に大学新入生の頃に聴いた講義をふと思い出しました。大教室に詰めかけて、立ち見をしながら聴いたのは、当時まだ大学で教えられていた大澤真幸さんの「大学の知とは何か」(インターネットで探すと、ありました)。図らずして僕自身の問いもまた、原点に戻っているのかもしれません。

◎吉見俊哉(2011)『大学とは何か』岩波新書.

http://www.iwanami.co.jp/hensyu/sin/sin_kkn/kkn1107/sin_k600.html

7月は「夏休み」をいただき、まとまったテーマを考えるための充電に入ります。それまでの時間稼ぎに(?)、当面は昔の印象深い思い出を取りだし、綴ってまいりたいと思います。


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