6月22日に出演が終わって2週間、反省をと思いつつ日ばかりが経ち――折しもその次の週、関東で活躍するピアニストのC・Iさんからご案内を頂き、時間をつくって京都は寺町二条へ。地味な技術を言葉にするのは好みませんし、第一線で演奏と指導にあたられる方の示唆と僕のささやかな経験を照らし合わせることも、はなはだ僭越です。しかし自身の次に向けた課題分析として記してみたいと思います。
- 6月30日(日曜)14:00~15:00 於・旭堂楽器店(京都市)
- 講師:末永 匡(pf.)
- 使用曲:ブラームス/幻想曲集 op.116
末永さんは東京の音楽大学在学中、ベルリンやフライブルクに留学され、ディプロマ(演奏家資格)を取得後、日本でご活躍のピアニスト。初めてお会いしますが、本場ドイツで学ばれたとあって、ドイツ音楽に懸ける熱さが音と言葉の端々からにじみ出ていらっしゃいました。
今回、レクチャー・コンサートの主題に挙げられた「シンフォニックな音作り」とは、①さまざまな楽器の音をイメージして表現する、②立体感(遠近感)ある音のつながりを構築する、の二点にまとめられます。
イメージと書くと曖昧ですが、多彩な発音のメカニズムを知って、ピアノのタッチに転用すること。実際、末永さんは、室内楽で組むメンバーの楽器を全て触らせていただくのだとか。どうしても自分の楽器に時間が割かれてしまいがちですが、このように良い意味で「遊ばないと…」と思わされます。
また立体的な音作りのために「肘を自由にして落下の重みを使う」技術の大切さが説かれました。実演ではフォルテの例が示されましたが(予備練習として、ショパンの前奏曲第20番など)、ピアノについても、同じことが言えるのではないか、と思います(図らずも、ブラームスop.116-2の19-50小節目など)。重みを使うことで、フォルテは「割れずによく響く音」で、ピアノは「かすれずによく通る音」が表現できるように感じました。
ただ、いわゆる脱力や「重み」という言葉は、アレクサンダー・テクニック的にみると難しく感じます。垂直に下のdirection を連想させてしまい、不適切な方向付けを与えかねないからです。個人的には、「指をコンタクト・ポイントにして、ピアノと向き合って」というイメージが有効かと思いますが、まだ捉えきれておらず、学びを重ねたいところです。
また更に踏み込むと「背中や腰はリラックスして、出した音を受けとめて響かせる」ことが大事かもしれません。ピアノの背面(グランドピアノは、床側)には「反響板」と呼ばれるプレートがついています。ごく大ざっぱな感覚で言うと、「楽器と鏡合わせになり、自分の身体もまた楽器と共に鳴り響く」ということでしょうか。
脱力をめぐって長く書いたのは、自身の反省があります。先日の録音を聴いて、「あ、音は出てるけど、フレーズの最後まで全然伸びてないな」と。とりわけ、先日の出演で取り組んだショスタコーヴィチ(D. Shostakovich)やブラームス(J. Brahms)は厚く折り重なったハーモニーと息の長いフレーズが命です。音が出ても伸びなければ、サッパリ音楽につながっていかない。
総じて末永さんの実演からは、壮大でありつつ細部にも行き届いた緻密さが伝わってきました。特に音の伸びはべヒシュタインという楽器の構造的特性も影響しています(これについては後日)。用事のため終演後の余韻が伺えず残念でしたが、これらを糧に次の舞台へ向けて臨みたいと思います。
◎ブラームス/幻想曲集(fantasien)op.116 [PTNA・ピアノ曲事典へのリンク]