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東京にも西と東――大都市の観想

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出来たばかりの六本木ヒルズを下から望む(2006年)

忙中閑あり,休日に大都会のさまざまな所へ足を運んでいます。東京の場合,出かける場所はほとんどは山手線の円からみて南西が多いです。六本木・表参道・砧公園など。行くたびに驚くのは,ゴミゴミした都心にもこんな閑静なエリアがあるのだ…ということ。もちろん計画的に都市をつくった賜物であり,いわんや住むとなれば大変な経済力が必要なのでしょう。しかし,

私の友人の香港の社会学者がとても興味深い観点を語っていました。日本人は,中目黒や代官山といった都心の西側に文化があると思っているが,外国人から見た東京の文化は東側,つまり浅草と秋葉原と東京ビッグサイトだ,というんです。
良くも悪くも昔ながらのフジヤマ,スキヤキ的な日本と現代的なサブカルチャーという両極端なものに日本文化を感じるということです。これは重要なことで,東京オリンピックの開催が決まった今,どのような日本文化を海外に打ち出していくのか,という問題に深くかかわっている。少なくとも東京西部的なものに「文化」があると思っているのは古い東京人の独りよがりかもしれないという視点は重要だと思うんです。
要するにこれは戦後のホワイトカラーや文化人は東京の街を西に伸ばしながら文化を作ってきたのだけど,現在においてそれは擦り切れて,国内におけるポピュラリティも国外におけるプレゼンスも大きく低下しているということですからね。
〔宇野常寛「日本文化の再生は成熟したインターネット文化にある」『第三文明』pp.30-31〕

現在では,地理と文化の相関は希薄化し,文化がどこに根差すかを決める(文化が地理を規定する)とするのが宇野氏の主張です。特にインターネットの文化形成力が伸びていることをサブカルチャーを例に強調したのが例の本です。

正月三ガ日の浅草寺(2013年)

正月三ガ日の浅草寺(2013年)

筆者の地元も消費の郊外化が著しく,この著者の切り口自体は共感をもって読め,おもしろい。しかし新参者が日々暮らし目線で足を止めるかぎりでは,西に豊かな文化をたたえる東京の土壌はまだまだ変わらない(し,変わらなくちゃいけないものでもない)とおもうのです。そして,自らと異なる確立されたなにかを仮想敵のようにして刃向かおうとする宇野氏のテンションには,温度差を感じてしまうのです。


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