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『ハンナ・アーレント』を観て

個人的な傾向ですが,冬が深くなると,ドイツ映画が私の中で流行りだします。

8年ほど前の2月に,ナチスから楽団の活動を守った指揮者フルトヴェングラーを描いた『帝国オーケストラ』を京都の某映画館で観ました(音楽史上の関心から)。先週はドストエフスキーの新訳でドイツ文学界に女性翻訳家のドキュメンタリー映画を観ました(文豪が主題に来るのかと思いきや,描写の焦点は,連合国の出身でありながら敵国のドイツ語が堪能ゆえに通訳を務める彼女の数奇な人生)。今回これら2本の感想は控えますが,『アーレント』はうすら寒い2月の帰省先で観ることになりました。

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映画の主人公はハンナ・アーレント(Hannah Arendt)。渡米後シカゴ大学で教鞭をとりましたが,ユダヤ人列車移送の最高責任者アドルフ・アイヒマンの裁判を傍聴するため,ニューヨーカー誌の同記事寄稿者に名乗りを上げ,単身イェルサレムに赴きます。近年日本で「公共性」や「共和主義」等の思潮で注目を集めている彼女を取り上げた今回の上映は『ローザ・ルクセンブルク』〔注1〕〔1986年〕以来,四半世紀ぶりに満を持した監督&主演コンビとのこと。

※1――同映画は今回の『ハンナ・アーレント』上映を機に団体向け配給でDVDが発売されるとか…。

アイヒマン裁判の結果を,アーレントは「悪の凡庸さ」(banality of evil)――巨大な悪事は最も平凡な人間によって遂行される――と形容しました。彼女の傍聴記がニューヨーカー誌に掲載されると,たちどころにアイヒマン個人の無責任性を擁護するとの非難に遭い,果ては亡命先で得た教職の辞職勧告を受けるまでに至りました(当時の彼女と同誌の往還はこちら)。私見では,「ユダヤ系市民団体の上層部にもナチスへの協力者がいた」との指摘をはじめ,彼女の論評は何々人という民族で簡単にくくれない事態の複雑さを暴く意図で書かれたように思いますが,雑誌記事としては非常にあざとく映ったのでしょう。

かくも重厚なテーマを扱いながら,映画は私に対し一貫して静かな説得力をもって迫りました。アーレントが学生への講義の形で反論をスピーチする8分間は(そして,これを映画の終結部に据える構成は)大胆です。その要因はやはり正面から根源的な悪とは何なのか,そして人間を捨てるとは何か――翻って人間を人間たらしめる条件とは何か,こうした普遍的な問いに焦点を絞ったことにあるでしょう。この問いは結果として,「言葉による思考」という(言論)活動(action)こそ人間の条件だと説くシカゴ大学講演〔注2〕の序奏と読むことができるように思います。

※2――『人間の条件』(志水速雄訳,1994年,ちくま学芸文庫)として邦訳が刊行。

それにしてもアーレントというと,一昔前はマルクス主義の再解釈者,そしてこの映画で描かれるような「ナチスの擁護者」(ナチスに加担したとされるハイデッガーとの師弟(姉弟?)関係においては猶更)という眼で見られがちでした。他方で掌を返したような今日の「公共性」論に引っ張りだこの状況も,ややもすれば過熱気味の感があります[注3]。この映画は,いずれもの極端な見方やレッテルに抗して彼女を描こうとする試みともいえるでしょう。

※3――アーレント本来の意図に即した「読解」への試みについては,専門的だが岡野八代「『人間の条件』と物語論の接点」を参照。以下で全文が閲覧可能。http://www.ritsumei.ac.jp/acd/cg/law/lex/00-6/okano.htm

最後に,本筋とは関係ありませんが,知識人同士のテーブルを囲んだサロン風景はインターネット時代の今日,かえって新鮮に映ります。アメリカへ亡命してから行動を共にする夫ハインリヒ,学生時代からの友人ハンス・ヨナス,親友の編集者メアリー,若くして有能な秘書ロッテをはじめ,「家族や民族を越えて,世界を深く理解したい人たちとだけ,つながっていたことがわかる」〔早乙女愛「アーレントの昼と夜」(映画パンフレットへの寄稿)〕。私はアーレントに「鉄(哲?)の女」的なイメージを抱いていましたが,必ずしも社交家ではなく内省的であったそうです。逆に「長らく国籍を持たなかった生活で,この空間を築き上げるのがどれだけ大変で,尊いものだったか」との評が胸に沁みます。連帯あればこそ,時代に抗しての言論活動に徹することができたのかもしれません。

◎『ハンナ・アーレント』公式サイト

ドイツ語版 http://www.hannaharendt-derfilm.de/

配給会社による日本語版 http://www.cetera.co.jp/h_arendt/

◎岡野八代氏による映画評

http://wan.or.jp/reading/?p=12751


1件のコメント

  1. itaru.saito より:

    2014年3月24日,矢野久美子『ハンナ・アーレント』(中公新書)発売!
    映画リーフレット寄稿者の一人による新著。 http://t.co/BQl3lD3PAn

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