急な暑さから程よく揺り戻した5月の駒場にて学会に参加。関西で立ち上げられた「学術英語研究会」を前身として,いよいよ学会として本格的な活動が発足しました。
学術英語学会 創設大会 2015年5月23日(土曜)於・東大駒場キャンパス
前半は石川慎一郎先生の基調講演「アカデミック・ライティングの科学: コーパス言語学の立場からみたその可能性」。
従来はネイティブスピーカー個々人の経験則に基づいた「英語らしい言い回し」があると言われてきた。ところが実際に校閲してもらうとその指摘は千差万別。辞書で用例を見てみると,ずいぶんバラエティがある…
個々人の経験則や辞書の用例はビッグデータを前にすると必ずしもアテにならない――この部分だけ聞くとギョッとしますが,研究本来の意図は「上級者にはバラエティを見せ,初心者にはどれを学ぶべきかの基準を指し示す(唯一の正解はない)」。極言すれば「言葉の達人がもつ名人芸を誰にでも使えるよう普遍化するための試み」。
石川先生の研究室が主導したアジア人向けの学術コーパス(ICNALE: International Corpus Network of Asian Learners of English)等の開発も意義深いものです。
後半はパネル・ディスカッション。実際に現場で「学術英語」と格闘する研究者の先生方の生の声を交換。色々な意見が出ましたが大きく重要と思われたのは二点:
- 大陸ヨーロッパの研究でさえ,現地語でなく英語で書かねばならなくなっている
- 専門研究に忙しく,英語などに労力を割く余裕がない
それぞれについて簡単に私見を加えますと,
1点目は地域研究と研究の英語化をめぐる切実な訴えです。研究の英語化に対しては,個々の地域(語)がもつ「コンテクストの多様さ・豊かさが失われてしまう」とする強い批判があります。時に地域研究が依ってたつ手法の根本を揺るがしかねないためです。他方,英語化する研究が一層多くの読者を獲得し議論を豊かにするポテンシャルを秘めていることも確かです。この後者の発想を最大限楽観的に広げ,「世界文学」や「グローバル・ヒストリー」の積極的意義を説く立場も現れています(河野至恩『世界の読者に伝えるということ』)。
2点目は専門課程になってようやく「英語」へ本格的に取り組もうとするから間に合わない。「基礎英語」から「学術英語」にステップアップする労力を最小化する基礎を付けるべきなのではないでしょうか。
おそらく人間の発達からみても,読み書き算数などを身に付けやすい年齢期と,専門的思考力をつけやすい年齢期は異なる。だとすれば外国語による思考力の伸びは初中等教育でどれだけ揺るぎない基礎を叩き込むかに依存してくる。
筆者は高校を卒業する際に「日本の英語教育が変わらないのは大学教育が変わらないからだ」と言われたのを思い出します。当時は幼く,ただ大人の責任転嫁だと内心憤ったものですが,今では「教育の到達点から逆算してそれに必要な基礎を的確に見定める施策を整える」ことではないかと前向きに解釈しています。
などなどと考えてきますと,「研究者のために必要な英語」と言いながら,結局必要なのは学術研究以前の英語力ということになり…悩ましい船出。しかし悩みを分かち合い,その克服に向けて共に行動するコミュニティの誕生は,やはり喜ばしいことです。