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『紛争が変える国家』を読む

2020年9月,講座『グローバル関係学』([編集代表]酒井啓子,岩波書店,全7巻)の刊行が始まりました。主体(アクター)中心的視座から関係中心的視座へと転換することで,グローバル社会の新たな見方を提案する…これが本シリーズで謳われているコンセプトです〔大学プロジェクトのサイトは→こちら〕。

世界の変動を,国家・地域統合体・企業等,多層的な主体同士の複雑な「関係性」を軸に考える新シリーズ。従来の国家主体の視点を相対化し,国際関係論や国際政治学の限界をこえる新しい学問領域の枠組を提示するとともに,国際状況全般や紛争,危機の分析を行う。

岩波書店公式ウェブサイト「2020年の新企画から」より

第1巻と同時に配本された第4巻は「紛争が変える国家」。東西冷戦の終結は「戦争」の終結を意味せず,紛争の頻発により国家の破綻した地域が世界にあまた存在します。国際法上は必ずしも主権国家と呼べない「状態(state)」をどう位置付け,再興の方途を探る試みです。専門外ですが,従来,国家‐社会関係というと「強い国家/弱い国家」の類型論から論じられてきたと理解していました(著名なのはミグダルの行論)。国家を所与としてその強弱を分類し,社会との対立関係から論じるのではなく,よりフラットな関係性を指標に置く意味で,本書は画期的な視座を示そうとしています。

但し,国民国家を所与とする見方の相対化,あるいは非国家(超国家)主体への着目だけで言えば,例えば「方法論的ナショナリズム」への懐疑などの形で遡上にのぼっています〔よりソフトな鼎談では→こちら〕。序章で「経験的な国家」(p.6)という概念が示され――おそらくは「理念的な国家」に対置しているのだと思いますが――,議論に慣れた読者でも少々戸惑うように感じます(敢えて代案を出せば「実態的な(substantial)国家」でしょうか)。

同じく帯の惹句に用いられた「主語なき世界」も,ストンと腑に落ちる形容なのか。「歴史の終わり(≒東西冷戦の終焉)」,非国家主体が仕掛けるテロとの闘い(9.11など),国連はじめ超国家主体の機能不全(ブレグジット・感染症対策など,本書第9章のエボラ出血熱事例も然り)などを次々に踏まえても,やや戸惑いをきたす懸念を拭えません。

学術書のかなめである方法論として,素朴に気になったのが「関係性」とは理論的に何(端的には,どの変数)を指すのか。本書の始めを読むと,その操作的な定義は「エリートと非エリートとの関係性」「一般の人々の国家間におけるズレ」と挙げられています〔pp.12-16〕が,そもそも異なる地域で想定する国家像がどの程度の一致をみているのか…も含めて気になります。
方法論的なことでもう一点。本書では,主に世論調査によって,紛争地域における国家や民主主義への信頼を測っています。その意味では「国際関係論」がよく扱う,紛争自体の原因究明や解決に関する論究よりも,紛争下・紛争後の社会の再興に焦点が当てられています。この関連では,猪口孝さんが唱導する「アジア・バロメーター」の集積が2003年から始まっています〔ご本人による一般向け概要紹介は→こちら〕。本書で扱われたアジアの事例はインドネシア・ミャンマーの二カ国に限られますので,むしろこの第二点こそ,ビッグデータの蓄積を活用し連動する形でアジア地域の「国家」観に関する研究へと発展することを期待したいと思います。


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