2021年1月より長期休館に入る横浜みなとみらいホール。 石丸由佳(りゅーとぴあ[新潟市民芸術文化会館]第四代専属オルガニスト)は,初代ホールオルガニストの三浦はつみ氏により20年近く続いたインターンシップ・プログラムで学んだ第6期生である(オルガニストのご紹介|横浜みなとみらいホール – 海の見えるコンサートホール (yafjp.org))。本日は20余名の同窓生「ルーシーズ」から只一人抜擢され,4年9ヵ月ぶりのオール・バッハ公演を行う。石丸の完全帰国後ほどなく,その実演に接し,また数々の音源を耳にした立場から,以下では一人の聴き手として拙いレビューを試みてみたい。
*オルガニスト石丸由佳の詳細なプロフィールは公式ウェブサイトを参照。
*三浦はつみ氏が横浜みなとみらいホールで歩んだ20余年のインタビューはこちら。
「バッハに始まり,バッハに終る」5年間
今から10年前,2010年に石丸がグラン・プリを得た「シャルトル国際オルガンコンクール」は,藝大時代に師事した廣江理枝氏はじめ,日本国内に優勝者・受賞者はごく僅かだ。優勝者には10ヵ国以上・50回に及ぶ世界各地でのコンサートツアーを副賞として与えるという。それは栄誉を勝ち取った覇者への単なる賞与ではなく,一つの出発点に過ぎない「優勝」を己の身に刻み,真の演奏家として脱皮するための機会(石丸の言葉を借りれば「武者修行」)とみるのが適切だろう。


本日のプログラムは,聴き馴染んだ名曲を初めに置きつつも,受難節にちなんだオルガン小曲集を抜粋し,《マタイ受難曲》終曲で全体を締め括るなど,端々にコロナ禍を「受難」と捉える構成が読み取れる。野生動物との接触から蔓延したとされる未知のウイルスを「裁き」とみる解釈には慎重でありたいが,禍の止まぬ現状は結果として,神が自然環境との関わり方に問い直しを迫っているかのようだ。
さて,本公演のフライヤーを飾る華々しい惹句にもみられるように,石丸の奏楽は各所で「枠にとらわれない感性」と評される。それは,どのような美質を持つのか。例えば,2015年から続く「日フィル第九」の前ソロとして恒例となった《トッカータとフーガ》ニ短調 BWV565を挙げてみたい。冒頭の即興風なパッセージをつぶさに観察すれば,伝統的な音画法と音楽修辞学の知見に立ちつつ,「もう一声…」と聴き手が期待する手前で離鍵するドライさ,逆に音価ギリギリまで音を保持する溜め,といった精妙で自在なアゴーギクが,適度な弾力性をそなえながら決して重たくもたれない「グルーブ感」を生み出している。敢えて言えば「ロックンロール的なスピリット」を喚び起こす表現… おそらくは,今から270年前に没したJ.S. バッハにすら秘められた,ヒトという動物に本源的な感覚,と言うのが適切だろうか。
在独中に収録されたJ.S.バッハ《幻想曲 (Pièce d’Orgue) 》の「小鳥が囀るような」または「天使が踊るような」軽妙さも又、石丸ならではの即興性とリズム感が特徴的に表れたものだろう。(*この箇所は2021年1月12日に加筆)
ここ数年,とみに機会の増えたインタビューで「私はパイプオルガンを『鍵盤付き管楽器』だと思っています」「ピアノは趣味で習い始めましたが,中学時代は吹奏楽に青春を捧げました(笑)」と語るなど,石丸は事あるごとに「ひとり吹奏楽」を標榜する。鍵盤楽器を一種のアンサンブルとして捉える視点自体,とりたてて目新しいものではなく,むしろ立体的な表現にはごく当然とされる感性だ。ただ実際,オルガンのストップには「フルート」「オーボエ」「トランペット」など,実際の管楽器の名称が多く付けられている。石丸は,それを日本で部活動としてなじみ深い「吹奏楽」に喩え,クラシック音楽にありがちな「形而上学的(≒頭でっかち)な意味付け」と距離をとりつつ,音そのもののムーブメントに遊ぶバランス感覚で表している。ここに,彼女の奏楽が「枠にとらわれない」斬新さ,として受け入れられた秘訣がある…と筆者は考える。
パイプオルガンは,森のように居並ぶどのパイプに風を送るかを調節する「ストップ」の組合せで,多彩な音色を作り出せる。そのために,パートに応じて楽器の音色を決める本番前の「レジストレーション」が出来を左右する。リハーサルの大半を占めるその重要な作業にせよ,石丸は「迷って吟味して…ということはあまりしなくて,頭の中にある”こういう音がいいなぁ”というイメージに近づけていく作業なんです。耳にしか意識が行ってなくて,ストップ名(音色名)を見ずに作っていくんですよ…」(『レコード芸術』2020年1月号,P.82)と実にあっけらかんと語る。ここには,論理よりも感覚が先行する気質を感じさせる。プレーヤーとして,はたまたパーソナリティとしても,他者への筋だてた説明よりも自身の感性が先行する「天才肌」なのだと推察できる。
耳だけではなく,言葉や色でも
ところで「耳の先行」に触れたが,石丸は感性によって音世界を表出するのみならず,自身の言葉で音楽を届けることにも,決して消極的ではない。むしろ,完全帰国後5年余にわたる活動の多くを,横浜みなとみらいホールでの研修経験を活かしたトーク・コンサートに充て,場の大小を問わず数多くの舞台を踏んできた。
最近のもので典型的なのが,2017年冬より三回シリーズで催された「石丸由佳のオルガン・サロン」(新潟市)ではないだろうか(筆者は2019年7月の第三回に訪れた)。外国語もままならないであろうデンマーク・スウェーデン・南ドイツの地で重ねた留学生活は,シャルトル国際の優勝を挟み,6年余に及んだという。その日々は辛く苦しい一方で,彼女にとっては「とびきりの体験」——記憶の宝箱に詰まった想い出の数々に違いない。その一端は,林 豊彦氏(開催当時は新潟大学教授,現在は同大学名誉教授)の博識かつ洒脱な語りを得て,貴重な現地写真と共に披露され,地元新潟の聴衆へ「パイプオルガンを身近に」する試みとして芽吹いた。そしてその経験の新たな展開は今春,200人を超える賛同と支援を得て《ココペリオルガンスタジオ》として東京・江古田に結実した。
サロンを離れ,大ホールの奏楽においては,視覚的な演出――プロジェクションマッピングとの共演が長い。かつては24時間稼働可能なザ・シンフォニーホールでの取り組みに限られたが,2019年には札幌キタラホール,2020年には水戸芸術館へとアリーナを拡げた。
以下に挙げるホルストの組曲『惑星』から「木星」は,ひもとけば故・冨田勲氏がシンセサイザーで編曲した名盤も有名だが,ペーター・サイクスのトランスクリプション版は石丸も留学中の一時帰国頃から取り上げ,2019年のセカンド・アルバム『オルガン・オデッセイ』以降,様々な公演の目玉として,大きく脚光を浴びた。
会場ごとに設計や仕様の異なるオルガンを体得するため,石丸は演奏や指導に多忙な合間を縫って現地へ足を運び,調整を重ねたという。その影には各地の映像作家・エンジニアとの連携や,ホールスタッフの実現に向けた尽力もあったに違いない。
これからの5年,そして10年へ
ここまで来て,本来オルガンとはキリスト教会での礼拝と共に奏でられるもので…という前提を抱いていた読者は,教会奏楽の活躍に触れられないことに意外さを抱くだろう。むろん,月例のメディテーション(瞑想)やバロックトランペットとの共演など,経験は多く,渡独中のデビューアルバムは教会の大オルガンで録音された。しかしながら,石丸はあくまでホールオルガニストとして育ち,2020年4月には,10年前に自身が念願と語った 地元・新潟市のホール専属オルガニストに就任した。そんな自身が目指すものを,石丸は「日本独自のオルガン文化の発信」と表現している。
先だって5周年を迎えた《初音ミクシンフォニー》への出演をはじめ,石丸は,ポップスの劇伴,和楽器との共演にもたびたび顔を出し,同世代の音楽家の中で一頭地を抜く存在となりつつある。RPG音楽のセッション録音等にも名を連ね,この場かぎりのオリジナル演奏企画を常とする「題名のない音楽会」への出演も「新世代の名手」「一流音楽家」の称号と共に,いつしか常連となった。
こうした像は,伝統的なクラシック音楽家というより,いわゆる「アーティスト」の趣を匂わせる。とは言え,音楽家の「語る」術が音楽そのものに尽きること,その真価がライブで奏でられる音で決まることは,本質的に揺るがない。今後,出自であるクラシック音楽,もとい原点と自負する吹奏楽(オルガン・トランスクリプション)の領野で深みを増すのか,ジャンルを越境するマルチプレーヤーとして,次々と新たな場を求めて舞い続けるばかりなのか。各地のオルガンを旅歩く「芸人」と自称する石丸の歩む先は,ただ本人の望み啓発されるものに委ねられようが,今後も新境地が華ひらくことを願い,行く末を見守るほかはない。