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哲学への視座 (3) 『世阿弥の稽古哲学』を読む

「温故知新(故きを温ねて新しきを知る)」という言葉がありますーー古来の智恵に新たな視点を得るヒントがある。筆者がこれを実感するのは日本の古典芸能やアレクサンダー・テクニックに接したことが大きいですが,その本質をなすのが「稽古(アレクサンダーテクニックでは「ワーク」)」です。昨年そ集約的な著作が増補版として再刊しました。

本書のスタンスは「はじめに」で明確に示されています。

第一に,世阿弥の伝書に焦点を絞り込む。ということはその謡曲を扱うことはない。第二に,世阿弥のテクストに限定する。世阿弥以後の芸能史に守備範囲を広げることはない。第三に,テクストはすべて先学の遺産に依拠する。文献学的考証には遡らない。…第四に,現代の稽古風景を前提にしない。…「世阿弥・伝書・稽古」のテーマを鮮明にするために,多くの課題は背景に回さざるを得なかったということである。

西平 直『世阿弥の稽古哲学』p.iii.

中でも「型」に関する議論は,あらゆる舞台芸術の本質であるように感じられます。

「型」は音楽性を妨げない。むしろ「型」が音楽性を促し「音楽性を踏まえてからだが自由に動く」ことを可能にする。むろんその「自由に動く」は勝手に動くこととは違う。「音楽性を踏まえて」からだが自由に動く。

西平 直『世阿弥の稽古哲学』p.98.

最も驚くのは,舞台実践者がこれを語るのでなく,ドイツ哲学・教育哲学(「教育人間学」)を専攻する西平氏が「テクストの読解に専念」することを通じて,世阿弥の稽古論の内在的な理解を引き出しているところでしょう。観世流宗家の能楽師である観世寿夫氏の著作を介してとはいえ,その精密さには圧倒されます。

閉塞感の漂う現代,様々なフィールドで,いわゆる理詰めの思考を離れた創造的思考の必要性が説かれています。創造性は「思考」でありながら,身体性や実体験と切り離しがたいとの指摘もあります。新たな思惟の営みを切り拓くうえで,西平氏による世阿弥の読解は大きなヒントを宿していると感じます。

世阿弥の稽古哲学 増補新装版 – 東京大学出版会 (utp.or.jp)


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