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哲学への視座 (4) 民主主義と教育を考える

昨年の米国大統領選を受け、年明けには新大統領就任式が執り行われ、世界秩序の場にアメリカ合衆国が戻ってきました。その政治哲学をめぐる状況は、過去の記事(哲学への視座(1))で触れてきました。米国社会の分断・二極化が言われるなか、BLM (Black Lives Matter) 運動(日本語では、NHKによる紹介)など、社会的マイノリティの立ち位置が問われた最近でもありました。この下で、多様な価値観をもった人々が民主主義的な意志決定過程にどう参加しうるか、が問われていると思います。

平井悠介さん(現在、筑波大学人間系准教授)の博士学位請求論文を基にした『エイミー・ガットマンの教育理論』は、民主主義と教育といった普遍的なテーマに切り込んだ貴重な労作です。研究対象としたガットマンはペンシルベニア大学学長に任じられており、大規模オンライン教育(MOOC)への発言(日本経済新聞・2013年6月6日27面)、オバマ政権下では生命倫理委員長を務め、報告書「全ての世代のための生命倫理」執筆を統括するなど要職を務めています(リンク先は京都大学文学部における概要抄訳)。こうした点で、日本の論壇からすれば大学行政・国家的政策における有識者という立場での発言が著名かもしれません。

学術的には、ロールズのリベラリズム再考(『リベラルな平等論』(1980))から出発した政治哲学者であり、「社会的基本財の平等なる分配」に対して「市民的基本権の平等なる分配」〔本書pp.43-44〕を力点を置いて独自の平等主義的思想を提示しました。

平等主義的リベラリズムの問い直しから出発し、個々人の差異に応じた分配の方法を政治参加の概念によって導こうとした1980年代のガットマンの民主主義的教育理論は、1990年代以降、現実の公共的問題…へと適用応用されていった。その過程で、異なる信念をもった市民同士での公的な熟議が、他社との関係性を深め、他者の意見に耳を傾ける市民的態度を養うという、熟議的民主主義の市民教育理論が発展していった。政治に価値を置くガットマンの教育理論の体系を、仮に「政治的教育哲学」と名付けるならば、この教育哲学を支えているのが、マイノリティの善き生を保障しようとする平等主義の思想と、教育を通じた社会改良をめざす進歩主義の思想であることが見えてくる。

〔本書 pp.235ー236〕

ところで、形而上学的な認識論を離れて素朴に浮かぶ疑問は、①政治参加やそこでの議論は学校教育を変え得るか、また②学校教育に参加する者の変容・成長を実質的に促し得るか、といった点です。もう少し手短に言えば、例えば日本の政治は教育に変容を与え得るアリーナたり得るのか…という点です。筆者は日本で教育実務に携わった人間ではありません。しかし初等から高等まで一定程度の教育を受けた経験から、現場ではしばしば、平等主義という概念はスタティックに捉えられ、結果や評価(成績評価)に於ける横並びの強調が唱えられやすい…と経験的に実感しています。平井さんの議論は上記引用の後、教育現場への「市場原理主義」の導入の問題性、日本の戦後教育学の教育現実とのギャップ、といった論点に進みますが、ガットマンの所論が日本の文脈でどう位置付けられるか、という点には触れていません。

もちろん、認識論を実践論と安直に結び付けるのは得てして早計であり、しばしば「市場原理主義」に対峙する実践として、左右という古典的な党派の対立軸に回収されかねません。しかし平井さんがガットマンの特徴として明らかにした「政治的教育哲学」が、参加に於ける包摂と排除、価値多元化社会における平等など、すぐれて実践的課題を扱うものである以上、現実との往還による議論の精錬が望まれていることは明らかでしょう。

『エイミー・ガットマンの教育理論』その他の書評掲載情報:Forum on Modern Education, No.27, 2018(評者・高宮正貴氏)、図書新聞 2017.9.23. 3320号 (評者・藤井千春氏).


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